つれづれライブ日記


vol.7
1997. 9. 1 ひとりTOMOVSKY in 渋谷屋根裏

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シブヤに昔あった ヤネウラには 2回くらい 客として観に行ったコトがあった。その頃のヤネウラよりも とてもキレイだったし、 今度のは B1にあるので(かつてのは、たしか3Fくらいにあった)、正確には ヤネウラではなく、 「シブチカ」がジャストフィットに思われる。

250人ぐらいで きっといいカンジのフロアに おめでたいことに 400人以上 集まってしまって、 あまりお客さまとしては 居心地のよいひとときでは なかったかも知れない。ごめん ごめん。

ところが トモフとしては たいそう御満悦だった。自分のことを「トモフ」と略すのは気持ちよい。 ライブは7:00すぎくらいから10:00すぎまで 3時間も したです。

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ひとりトモフは いつも
サイショのうちは 静かめで始まるなぁ。
それは きっとボクがロボットだから。
そこが ドコだろうと、何人お客さんが入っていようと カンケイなく、まるで時計のように コツコツと クールに序盤は過ぎていきました。

ロボットの僕のネジがハズレはじめたのは第・部のラストの「ホーヨーリョク」あたりだったと思います。 サビがまるで パラッパラッパーなので どうしてもクールでは いられなくなりました。

一度 ネジがはずれると つっかえ棒がとれたように、あの日は とんでもないコトをいろいろ楽しみました。ダイブもしたし、客にも おマヌケなリアクションを強制しました。
ぼくは しあわせだったので きっとお客さまも しあわせだったハズだ。

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9:00を すぎたあたりで、他の会場でライブをしていた、ウエディンスキー(上田くん)が かけつけてくれて 2人トモフをしました。
彼が ナイスな演奏をしてくれるので
ぼくは「水を得たマナイタの上のコイ」のように おどりながら うたいつつ ダイアナのことも考えていました。

しばらくすると、吉祥寺でライブをしていたマッケンジノフ(サトケンさん)も来てくれて、3人トモフになりました。とてもゴージャスな 屋根裏こけらおとしショウで、してやったり。 あぁ・・・しあわせだった。

ライブ終了後、ステージのうしろのカベに白のスプレーで「屋根裏」って書いてくれと言われ、がんばったんだけど「ウラ」の字がとてもムズカシかった。 へんな字だよ。