つれづれライブ日記


vol.14
1997. 2.20 AND 1998. 2.28
「ライブの想い出」


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お気に入りの
いつものペンが
インク切れ
なようなので
珍しく ボールペンを
使っています。
さて。それでは...


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2月20日 ON・AIR・WEST

チューインガムウィークエンドの主催するイベントにさそわれて渋谷でライブだ。
兄同様、ぼくも シブヤは昔はキライだった。
けど、このごろは
どこも 似てて どうでもよくなった。

そもそもこの日は
サイショ、何人でやろうかとか決めてなくて、とにかく出演はするのだ!!と 心に決めていた。

2月に入ったあたりで
「あぁ そろそろ 20日のライブの作戦を練ろう・・・」と思い始め、その頃、ホフのベイビーくんがちらほら ぼくんちにやって来ていたので
「それじゃあ 20日は一緒にライブをするんだね。
きっと ぼくらは するんだね。」

とゆうコトになった。

ベイビーくんは
あっとゆう間に トモフスキーの曲をおぼえてくれて
とても頼もしい男だった。
しかも 当日は 彼の相棒のユウヒくんも やって来てくれるとゆうことで
本当に 世界は広くて いいヒトたちだった。

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ベイビーくんが ユウヒくんを連れてくるなら
ぼくにだって 友達はいるぞ!
で、上田ただしくんを 呼んだ。
上田くんは ちゃっかり チューインガムでもプレイしてるので この日は 2ステージだった。

この日のライブのために
4人が顔を合わせて 練習することはなかった。
ぼくらは 未来人なので
そんな レトロな バンドじゃないのだ。
ぼくと ベイビーが 2人で
若林邸で プレイしたテープを
ユウヒくんと ウエダくんに電送し、
各自めいめい ライブの日まで
イメージ プラクティスを してたのさ。

ちなみに ライブの感想で
「もっと練習しなさい!!」と
猛烈に しかられた。
  つづく。


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2月28日 下北沢QUE

20日のライブで
苦情をもらったので
ぼくは きちんと しょんぼりした。
だから この日は
ライブの前に楽屋の裏のカイダンで
ホフの2人たちに
「おい! どうやら お客さまは
もうちょっと ちゃんとしてほしいらしいぞ!」

と演説してみた。
ホフくんたちは スナオな好青年だから
ちゃんと まじめなカオっぽくしてくれた。

ぼくは この日、もうひとり、森くんも呼んでみた。森くんは「イギリス人」がなくなって フリーな身だったからである。
突然の おさそいでも 大丈夫。
彼は 下北沢で No.1のギタリストで、アジアでNo.1のダンサーなのだ。


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ステージに まず、
ぼくと ベイビーが登場して
「かわいそ~、かわいそ~♪」
歌ってみたら
ぼくは 気分がよくて ハナ水が出てきた。
客席から ティッシュが投げ入れられて、
「プシュウ~」とやって ちゃんと 客席に返した。
とても 下品なぼくは
ほんとに サイテーです。
時々だから 許してください。
いつもは 紳士ですので。

そのうち ユウヒくん、ウエダくん、モリくんが 勢ぞろいして
『星ラップ』の生演奏バージョンをしたりした。ぼくは うかれていた。
ホフくんたちは なんかまじめに
しっかり プレイしていた。
えらいぞ!!
ういういしくて キラキラしていた。


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そう!
この日の企画は
マーブルダイヤモンドのイベントで
「ビバ☆ヤング」ってゆって かなりの長寿企画。
ゆいしょ ただしいのだ。
他の出演者たちは みんな いい味出してた。
渋めで ダンサブルな人々。
オレだけ うかれて、はしゃいでて うるさくて お下品だったので たぶん もう「ビバ☆ヤング」には 誘ってもらえないです。

そうこうしてるうちに
その晩は「魚民」とゆう居酒屋で打ちあげをしていた。

2月は よくわからないけど
ところどころ あわただしく過ぎた。
ホフの2人は
ニューアルバムのレコーディング中だったらしいのに あそんでくれた。
フシギな 好青年たちだ。

なにか お返しをしてあげたいけれど
思いつかないので
とりあえず、ジャマを しないように
じっとしていよう。