つれづれライブ日記


vol.16
1998. 3.23 ~ 1998. 3.28 
「ライブの想い出」Live Tour '98 EXPO*part2

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3月23日 福岡 Be-1

Be-1の楽屋は とても狭く、便所も手の届くところにあって かなりのスメルだ。
でも 2階だ。ロフトってカンジ。はしごのような階段を のぼったり降りたりするのだ。
ASA-CHANGは ライブの直前にカラダじゅうに 「ラブ」を塗りたくる。筋肉をホクホクさせるやつだ。狭い楽屋いっぱいに、ASA-CHANGの「ラブ」の臭いがたちこめ、
「おぉ!!ライブだ!!ライブが始まる!!」と、
気分がライブモードに切りかわってゆくのだ。

大阪にひきつづき、なんとこの福岡も
SOLD-OUTだった。
どうしちゃったんだ、トモフスキー!
ついにブレイクかっ!!


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Be-1は 東京で言うと、シェルターぐらいの大きさで、いわゆる完ペキなライブハウス!
あの強力なメンツがライブハウスで演るんだから もうどうなったってグーだ。
九州特有なのかは 不明だけれど、お客さんも一緒に歌っていた。
口ずさむってカンジじゃなく、高らかに 大声だ。
しかも オレよりも音程がしっかりしている。
うまいのだ。
でもマイクはオレがひとりじめなのだ。
えらいのだ。

大阪のライブで、体力の限界を知っていたので、この日は いくら疲れても
「お、つかれた。よしよし、もっと疲れてみよう。」と、 すっかり、ヘトヘトも友だちになれた。
ライブが こんなふうに マラソン感覚でスポーツなのは カステラ以来だ。
えらいぞ。


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3月25日 桐生市市民会館

桐生は「きりゅう」と読む。英語でつづると、
「KILL YOU!」だ。
おそろしい。ギャングの街だ。
しかし、そんな街の名前とはウラハラで、
とてものどかな川沿いの街だった。
僕の故郷の 成田市ロシアに よく似ていた。

今回のツアーで、はじめてのホールだ。
イスつきのキレイな映画館のようだ。できたばかりらしく、新しいコンクリートのニオイがして よかった。
この頃になると ぼくはすっかりライブのとりこで、
ホールだろうが なんだろうが、なんか知んないけど 気分が高揚していた。


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桐生の人たちは たぶん イスがついてるせいかシャイっぽかった。
でも そう見えるだけで、心の内側は グラグラと足尾銅山の鉱毒が煮えたぎっているハズだ。
なんたって ここは「KILL YOU!」ギャングな街なのだ。
だから 僕は 殺されないように注意しながら
ゴキゲンに フラフラ歌った。
時々 ステージを降りて 挑発すると、さすが ギャングたち、ぼくを ひきづりこもうと 襲いかかってきた。
おお、スリル スリル。
やたらと この頃のライブでは 僕がうかれてはしゃぎまくるので、後ろのメンバーたちは きっと大変だろう。
お世話になってます。 頼りにしてます。
これからも よろしくお願いします。
そして、桐生のギャングたちよ。
北関東のトモフスキー普及作戦は 君らにまかせた。
「トモフスキー?何、それ?」とか言う奴は
次々と 消せ!もしくは ムリヤリ チームにひきづりこめ!

じゃ、よろしく。


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3月28日 札幌 ベッシーホール

「ホール」とは言っても イスつきじゃなくて、
たて長の 下北沢シェルターってカンジ。
楽屋から ステージまでゆくのに 客席のわきを通るので、まるで プロレスの入場みたいで 
すごく エキサイティング
だ。

ベッシーホールで演るのは
ひとりトモフを含めると、もう3、4回めぐらい。
すっかり 自分の部屋気分。
一度も シュンとしたことないし
なんか知んないけど しあわせな場所だ。

きっと入場、退場のたびに 客とハイタッチとかやるから フレンドリーになれるのだろう。
お客さんからすると なんでもないことかも知んない。
けど 僕は アレだけで 簡単にスイッチが入る。
ライブモードに切り替わるのだ。
ラッキーである。

ジョウキゲンなライブのあと、やっぱ北海道なので、羊の肉を食べに行ったら、食べすぎて 苦しくて 朝まで 眠れなかった。
羊のエキスの汗が 毛穴から 吹き出すような カンジ。
もう 一生分の羊は食べたので、次は ちゃんとラーメンを食べよう。